「強制感謝主義」「強制恵まれ主義」に対する違和感
あなたは、幼少期や生まれ育ちに、こんな経験をした事はないでしょうか?
例えば、自分から頼んでもいない事を、(誰かに)勝手に、強引に推し進められて、挙句に、
「○○さんが、せっかくお前にこんなにも○○してくれた事に感謝しなさい」
と言われた経験や、
他にも、自分が辛く、苦しい状況にいて、(誰かに)悩みを打ち明けた時に、
「お前はこんなにも○○に恵まれているのだから、感謝しなさい」
といった事を言われたり、など。
僕もかつて、そのような言葉を耳にタコが出来るくらい言われ続けて来た経験があります。
例えて言うなら、「強制感謝主義」「強制恵まれ主義」とでも呼ぶべき価値観でしょうか。
今まで、ずっとモヤモヤとしたものを感じていたので、今回、1つの反論を以下に用意してみました。
感謝とは「義務」ではない
確かに、「その人にとっての」価値観と目線で見れば、
自分(あなた)の状況が、「色々と恵まれているように映った」のかも知れません。
「もっと感謝をするべきであるように映った」のかも知れません。
しかし、言われた本人にとっては、どういう気持ちになるでしょうか?
人それぞれ、受け取り方が異なるかも知れませんが、僕の場合、まぁ正直「たまったものではない」というのが本音です。
「お前は(※こっちから見て)○○に恵まれている(※ように見える)んだから、お前の苦しみや葛藤、努力や辛さは一切認めない。ただただ、有難く思え、感謝しろ」
って、押し付けられて命令されているように聞こえるからです。
つまり、その言葉を言われても、プレッシャーやストレスを感じるだけで、プラスになる要素が1つもない、と思うんですよね。
そもそも、「感謝」とはひとつの「感情」であり、
「感情」とは「他人から強制されて、義務として生じるもの」ではなく、
自分の胸のうちから、感覚的に、自発的に生じるものですよね。
感謝とは他者の言動が「期待値を上回った時の反応」である
また、僕の自論として、「人類は全員自己中だ!という前提でこそ、人は人に感謝出来るのではないか?」というものがあります。
仮に、僕やあなたが、「人間は皆、利他的で慈悲深い存在なんだ」と思っていた、とします。
すると、人間心理として、
「こういうシチュエーションなら、他者は自分に○○をしてくれるだろう」
「反対に、自分が他者に○○をしたら、相手はこれぐらいの感謝をしてくれるだろう」と、
無意識のうちに「期待値」を設定してしまいがちです。
だから、例えば誰かが自分に親切にしてくれても、
相手がしてくれた事の度合いが、自分の期待値に達しなかった場合、
「もうちょっと○○してくれても良かったのに」
という風に、マイナスに感じてしまう訳です。
反対に、自分が誰かに親切にしてあげた時も、
相手の感謝の度合いが期待値に達しなかった場合、
「自分がこれだけの事をしてあげてるのに、何で(自分が思う)相応の感謝をしてくれないんだ!」
とか思ってしまうのです。
実際にそうやって怒り出してしまう人、たまにいますよね。
で、それを言われた側の気持ちといえば、まぁうんざりしますよね。
他にも、もう一つの例を挙げてみます。
良く、「真面目な人よりもヤンキー(不良)の方が、ちょっとした親切でも過大評価されがちだ」という話を耳にしませんか?
これも、ヤンキーはそもそも周囲からの「善行の期待値が低い」からこそ、それを大きく上回ったと判断され、より強く感謝される、
という「期待値を基準にした感謝のメカニズム」が働いているように感じます。
そこで、です。
「そもそも人類は全員、例外なく自己中なんだ」という前提を自分の心に刻みつけ、
他者に対する期待値を「限りなくゼロに近づけて」おけば、どうでしょうか?
例えほんのちょっとの親切でも、人に何かしてもらった時に感謝出来るようになりますよね。
この前提をまずハッキリさせておくことで初めて、
人からとやかく強制される事もなく、ごく自然に、人間が普遍的に持つ感情として、
日常の中で喜びや感謝を抱けるようになるのではないでしょうか。
そしてそれが、「感謝」という概念の1つの本質ではないでしょうか。
おわりに
いかがでしょうか?
僕なりの「感謝」という概念に対する、1つの捉え方を述べてみました。
ちなみに、冒頭で挙げたような事を言うタイプの人って、事あるごとに「○○はこうあるべきだ」「○○はしてはいけない」という、価値観の押し付けのオンパレードで、
「お前の意志は関係なく、奴隷のように自分の価値観に従うのが当然」とでも言いたげな、総じて横柄な態度を取って来ますよね。
何故、「相手の意見にも耳を傾け、お互いの価値観を尊重し合おう」という前提に立てないのか?
「ここまで高圧的な人って、たまたま僕の身の回りに多かっただけなのかな?」と以前は思っていたのですが、
どうやら、日本社会全体にはびこる病理のようなもので、こういう人達は想像以上にうじゃうじゃ生息しているようです。
僕は幸運にも、福岡移住とともに、そういう「マウンティングに必死なタイプ」の人達とは全員縁を切る事に成功したので、
今はそうした悩みから開放されて、QOLが著しく向上しましたが、
もしも、今、この瞬間にもそういう人達に苦しめられている人がいるとしたら、
毅然とした態度で上記のような反論を言い返してみても良いかも知れません。
(もっとも、そういうタイプの人が反論を素直に受け容れる度量があるかは大いに疑問ですが・・)
まぁ最後は、「結局、そういう人達とはさっさと縁を切った方が早いよ。あなたの貴重な命が勿体無いから」って言いたいですね。